【幸せも苦しい】幸せについて本気出して考えてみたらブッダが好きになった

心を軽くする仏教哲学

お金を稼いだり自由な時間を手に入れる前にしなければいけないこと

それは「自分にとっての幸せとはなにか?」がわかっていることではないでしょうか。

そこまで肩に力を入れた話ではありません。
例えば私の祖父は、日曜日に祖母から500円を貰い、決まった喫茶店に独りで行って、一杯のコーヒーを飲むことが何よりの喜びだったそうです。
そういうのいいなあと私なんかは思っちゃいます。

さて、じゃあ自分はどうしたら幸せになるのか。それをどうすれば自覚できるようになるのでしょう?

楽しかったり嬉しかった体験から考えてみるとか、周囲の人間と話してみるとか、ネットや本や動画などで、幸せそうな人を調べてみるとか、他にもいろいろあるとは思います。

しかしそうやって自分の幸せを探していますと、そもそも幸せってどういうものだっけ? とか、そもそも自分は幸せになりたいと本当に思っているのか? それが自分の人生の目標か? といった、そもそも論が始まってしまうことがありますw

なぜそうなってしまうのかと考えると、自分の心とか、感情について、一本筋の通った考え方を持っていないからだと思いました。

本記事では自分の精神的なものに芯を通す方法について、私がタメになった体験を書いていきたいと思います。

宗教とは何か、なんとなく腑に落ちた話

率直に言いますと、私がタメになった体験とは仏教を勉強したことです。

『宗教』と聞くと、私も含め日本人は思わず「う!」っとなって、気持ちが身構えてしまうところがあります。一応断っておきますと、宗教勧誘はしていませんw

宗教自体が怖いというよりは、宗教を信じている人間が理解できなくて怖いという感じでしょうか。
「神はいます」と臆面もなく言えて、「神様が言ったから」という理由だけで理解不能な決まりを守っていたり、その謎の共感で集団を作り、頼んでもいないのに勧誘して来るくせに入ったら二度と出られなくて、出たものは悪魔と言わんばかりに攻撃してくる。そんな感じでしょうか。

しかし冒頭マンガの神父さんの言葉で、宗教は学問の一種に過ぎないんだと思えました。

確かに地球が丸いことも太陽の周りを回っていることもわからなかった時代、「世界は神様が6日間で作ったんですよ」と言われれば、バカな私なら「そうなんだぁ」と素直に納得しただろうなあと想像できましたw

私にとっての宗教

宗教を学問の一種と捉えると何が変わるのか。
それは、全部を納得する必要はないということと、集団に属することが絶対条件ではないということです。

だから私にとっての宗教は、「ここは正しいと思うけどここは間違ってるな」と良いとこどりをしていいものだし、他人は関係なく、自分が共感すればそれでいいものだと考えています。

ブッダの教えを自分好みに解釈してみよう

ということで、ようやく仏教の話です。いつにも増して前置きが長くなりましたが、宗教関係は書く方もとにかく気を使っているのですw
あくまで本記事は私にとって気持ちよく曲解した仏教の話です。
正しく仏教や宗教を知りたい方は、ちゃんと出典のしっかりした情報源をご参照くださいw

さて、そんな私にとっての仏教を端的に表すと、清々しいほど後ろ向きで、やたら理屈っぽいです。だから非常に私の好みでしたw

それではいってみましょう。
まず仏教を理解するため、仏教が生まれる前にどんな考えがなされていたかから書いていきます。ブッダの考えがどれだけ突飛だったか、多少わかりやすくなるかなと思いますので。

輪廻転生は仏教が言い出したことじゃなかった

まずこの段階で私はびっくりしました。「ええ!? そうなの?」と。てっきり仏教が言い出したことだと思っていましたので。それくらい常識のない人間なのです、私。

輪廻転生とは、あらゆる生命は生まれては死んで、また別のものに生まれ変わっている、という考え方です。前世とか来世の存在もこの考えから来ています。

輪廻転生は仏教が生まれた土地(インドあたりらしい)にもとからあった思想だそうです。
赤道に近い熱帯だか亜熱帯な気候のため、とにかく緑が豊か。植物を食べる動物たちも繁殖が盛んになり、食べても食べても数が減らないように見えたことから、「きっと死んでもまた生まれ変わるから数が減らないんだ」という考えが自然発生したと考えられています。

この輪廻転生に、インドの厳しい階級制度、カースト制(当時はヴァルナ制と言ったようです)が解釈を加えます。曰く、高い身分に生まれた人間は前世で素晴らしいことをしたからなのだと。だから生まれた場所だけで差別されるのは当然、という身分制度と権力機構の理由付けとして利用したわけですね。
だから現世でいいことをいっぱいして、来世は身分の高い人間に生まれ変わりましょうというのが人生の是とされていました。
現代でいうところの、成功者になろう、幸せになろう、そのために賢くなろう、良い習慣を身に着けよう、マインドセットしよう、ギバーになろう、と大して変わらない考えかなと思います。

ブッダの反論「この世界には苦しみ“しか”ない!」

そしていよいよブッダが登場です。
彼はきっぱりと言います。この世は全部苦しみだ。最高にネガティブです。
しかしおいしいものを食べれば嬉しいし、好きな人といれば楽しいなど、苦しいとは逆の状態も確実にあると実感しています。
これに対してブッダの言い分は以下の通り。
「おいしいものを食べても時間が経てば腹が減り苦しくなる。しかもおいしいものを食べたせいで、それ以下のマズいものは食べたくないと思う。好きな人と別れれば、以前に独りでいた時より寂しさを感じる。つまり嬉しさや楽しさは苦の始まりであり、また苦しさを増長させているだけだからやっぱりこの世は全部苦しみである」

屁理屈すごーい!w

世界の真理【四法印】

いやいやブッダさん、難しいことだとは思いますけれど、仮にずっとおいしいものを得続けるとか、好きな人とずっと一緒にいるなどすれば、ずっと幸せでいられるじゃないですか。
「そんなことは絶対できない」とブッダは断言します。
彼が悟ったというこの世界の絶対の真実を四法印と呼ぶそうです。

  • この世界には苦しみしかない(一切皆苦)
  • 世の中の一切の現象は変わり続けていて、止まることはない(諸行無常)
  • 自分というものは存在しない(諸法無我)
  • 苦しみのない安らかな境地はある(涅槃寂静)

ブッダがずっと幸せでい続けることなんて絶対できないと言ったのは、この諸行無常がこの世の真理だと彼は考えていたためです。

この世のあるゆることには原因がある!

ではなぜこの世には苦しみしかないのか。我々は苦しまなければならないのか。「神様がそのように世界と我々を作ったから」と仏教は説きません。
「この世のすべて(=苦しみ)は、直接的原因(因)と間接的原因(縁)によって起こっている」とブッダは言いました。ここもやたら理屈っぽくて、現代人には逆にしっくりくる考え方のように思えました。
言うまでもなく、「因縁」とか「縁起」という言葉はここから生まれています。

私の働く製造業では「問題の真の原因をはっきりするために、『なぜ』を5回繰り返せ」という格言があります。
ブッダは苦しみの原因をはっきりするために、『なぜ』を12回も繰り返しました(十二縁起)。変態の領域です。
結果、苦しみの原因は我々が真の智慧を持っていない状態(無明)だからという真因にたどり着いたそうです。
ここらへんはあまりに観念的で、私はまだ腑に落ちていません。が、そんな感じでわからないところは飛ばしてしまえばいいというのが私にとっての仏教です。ブッダが天から「それが無明なんだよ!」とツッコんできそうですw

俺は完璧に死ぬぞ!

冒頭にお話しした通り、ブッダ以前の考えは、「輪廻転生する世界で、なるべく良い身分に生まれ変わろう」でした。
そこにブッダは「どの身分に生まれ変わろうが、この世は苦しみしかないのだから同じ。こんな世界に何回も生まれてこなければいけないことも苦しみ」と考えました。
だから苦しみから逃れる方法は、死んで二度と生まれ変わらないこと。
『完璧に死ぬこと』が人生の目指すべき目標だとしました。
ネガティブ発想、ここに極まれりといった感じですw

私の仏教まとめ:幸せも自由もいらない

以上、私が「なるほど!」となったブッダの教えでした。
この後もブッダの教えは続きますが、「輪廻転生から抜け出すためには修行しろ」など、ちょっとまだ自分にはしっくりこないので、今はここまでです。

ただ修行の教えの中で中道という考え方はいいなと思いました。中道とは、どんな考えにも執着してはいけないというものです。
ブッダは「快楽を求めるのも苦行を科すのも正しくない。人は何度も生まれ変わると考えるのも間違っているが、人生は一度きりだと考えるのも間違っている」と言いました。相変わらずの屁理屈おじさん(じいさん?)です。

結局のところ、この世の中のすべては苦しみでしかないのだから、幸せになっても苦しいし、なろうと考える=幸せに執着するのも苦しくなるからやめなさい。幸せに限らず、何にでも捉われようとしてはいけないとブッダは言っています。

仏教の考え方のほんの最初ではありますが、それだけでも私は知って心がすっきりしました。
ブッダのように、幸せも、自由も、成功も、お金とか豊かさも、何もかもなくてもいいと心から思えるようになれれば、本当に最高だなと思います。悟り開きたいなーと思いました。まだまだ私はその境地にたどり着けていませんが。やっぱりお金も時間も欲しいですw

ただ、何を求めているのか考え、それを得るために頭を悩ませて疲れてしまったら、ブッダの考えを思い出そうと思います。
「結局どれも苦しみだ。自分は今、中身同じで名前が違う程度のものを必死に選んでいるんだ。バカみたいだな」と、ちょっと心に一息いれてみましょうか。

あたかも、獅子が物音に恐れ慄かないように

網に捕らえられない風のように

水に汚されない紅蓮のように――

犀の一角のように、たった一人で歩みなさい。

ブッダの教え~真訳・スッタニパータ~(前谷彰/講談社)

まだ知らぬ仏教の魅力 龍樹と空(くう)

この通り仏教を勉強してまだまだな私。
仏教の身も蓋もない、ちょっと理屈っぽい考えは、ブッダ以降も弟子たちの解釈という形で発展していきました。
その中でも龍樹という人の解釈は、ぜひそのうち学びたいと考えています。

この人は空(くう)という考えを大成した人です。空とは、数字でいうところのゼロみたいな考えで、ブッダが何物にも執着してはいけないという教えを「いや、そもそも何も無いんじゃね?」と言い出しました。
それは本当に全ての範囲で言えることだと龍樹は考え「だからブッダの教えも本質的には存在しない」とさえ言ったらしいです。ぶっ飛んでます、龍樹さん。

しかしこのぶっ飛んだ考えが般若心経にまとめられ、日本仏教のほとんどの源流となる大乗仏教を大成させました。

ブッダ→龍樹→日本仏教の各宗派の考えを学んでいくことで、よりブレない心の芯ができるのではないか。ちょっとわくわくしてきます。

史上最強 図解仏教入門 保坂 俊司 (監修)
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